紙バンド=紙製品としたら、方向性が見えて来ました。良い紙を使って、贅沢に作る、これも紙バンド手芸材料の一つの方向性かも、なんだ簡単じゃないか!(一般的な企業論理とは逆です)

まぁここから苦労の連続なんですけどね(笑)という事で、取りあえず紙を贅沢に使う事を考えました。残念ながらその頃はまだ良い紙に出会えていませんでした。

紙を贅沢に使うという事は、紙糸断面の紙密度を上げるという事で、そうすれば自然と紙糸にコシが出ます。また、紙バンドが出来るまでの各工程を観察しながら、常に舵を(贅沢♪=加工に厳しい!=経費的に厳しい!!)方向へ切ってました。すると今度は、その厳しいという選択が祟り、紙が持たなくなりはじめました。これには数年悩みました。兎屋コレクションカラーの品質停滞期です。今でも思い出す場面があります。

出張時、広島県呉市のフェリー桟橋にいる時に電話が掛かって来ました。
加工屋さん「佐野さん!赤ぶどうの加工してるんですが、紙が切れて切れて仕事になりません、どうしましょう」
私「わかりました、赤ぶどうはあきらめます、すぐに中止して他のをお願いします」(あぁ・・・・大損やぁ・・・・)

でも!加工会社さんは紙を無駄にせず、最後まで加工をして下さったのです。その四国中央市の紙加工屋さんは、紙に精通しているし、紙加工にはプライドをもっています。なので、「紙が悪くて加工出来ませんよ!」と過去何回も言われはしましたが、一度として加工をあきらめた事がありません!このような対応は紙業界では少数派です。さすがです。

※ 普通の紙加工屋だったら、加工の事は後回しにして、紙のせいにするのが一般的です。で、苦情を言われた製紙会社は「いつもと同じですよ」と言い、これも一般的です。これが紙業界の古い(今でも)体質ですね。ハァ~~~ で、何も知らないお客さん達が混乱するのです!

さて、出会った頃は「・・・・手芸用の紙バンドは製造したことが無く、手探りの状態でした。・・・」の愛媛県四国中央市の紙加工会社さんですが、探究心と高い技術力、そして社長さんから現場さんまでの一貫した意識の高さで、今の兎屋コレクションカラー紙バンドを支えて下さっています。今では私が何も言わないのに、勝手に?どんどん?チャレンジして、紙バンドの品質を上げ続けています。なので私はもう何年も工場の中に入った事が有りません。それでいいのだと思っています。

要はお客さんが「兎屋コレクションカラー紙バンド」の事をどう思うか?初心者さんやバザーなどで販売される方は、値段が高いコレクションカラーは買いませんが、紙バンド手芸の中~上級者さん達には挑戦したいコレクションカラー紙バンドです。よろしく!

 

 

兎屋を始めた頃は、静岡県産の紙バンドを仕入れて販売していました。しかし1年余りで突然供給を止められました。そこで四国の紙仲間達に声を掛け、四国で紙バンドを作っている会社が有るのかな?と調べているうちに、愛媛県四国中央市の紙加工会社さんにたどり着きました。しかし、その会社さんは、手芸用の紙バンドは製造したことが無く、手探りの状態でした。

兎屋は、紙業界で過ごした時間はまぁまぁありましたが、紙バンド製造については特に詳しいとは言えない時期で、さてどっちに行こうか?と思案していました。その頃は、あまり市場に出回っていない色の紙を、小ロットで抄いて貰う事が頭に浮かんでいただけです。でも色は製紙会社に相談すれば誰でも作る事が出来るので、色で勝負を続ける事が出来ない事はわかっていました。ならばどうするか?紙バンドってなんだろう?

!紙バンドは紙製品じゃないか!なるほどそういう事ね!この思考は兎屋がいつも念頭に置いている(紙バンド=紙製品=紙大事)という事です。これが「兎屋コレクションカラー紙バンド」の基本姿勢です。

 

兎屋で独自ルートのオリジナル紙バンドを企画・製造(委託)し始めた頃は、同じ愛媛県産の紙バンドを2つのカテゴリーに分けていました。一つはコレクションカラー、もう一つはベーシックカラーの2種類でした。

コレクションカラーとベーシックカラーの区別は、発注する原紙ロットの多少で、凝った色のコレクションカラーは販売数量が少ないので、製造ロットがかさむ為、値段設定を高くしていたのです。品質の差はなく、製造経費の差だけでした。

また、当時は原紙も愛媛県産の紙を使っていて、紙の引張強度に欠ける愛媛県産原紙では、紙バンド加工の精度を上げる事が出来ず、苦しんでいました。

しかし、2015年春から、産地の違う静岡県産の紙バンドを取り扱うようになったので、愛媛県産の紙バンドは一つにまとめてコレクションカラー紙バンドと称し、静岡県産のカラー紙バンドと区別する事にしました。

また、懸案だった原紙の強度アップは、高知県産原紙で対応する事で、愛媛県産紙バンドと静岡県産紙バンドを品質面からも説明出来るようになりました。特にこの2年程で兎屋のコレクションカラーの品質は大きくアップしています。

兎屋で扱う手芸用紙バンドは産地別に2種類あり、兎屋メイン商品は断然!「兎屋 コレクションカラー紙バンド/愛媛県産」で、サブ商品として、安価な静岡県産「カラー紙バンド」も扱っています。という事で「兎屋コレクションカラー紙バンド」以外は、全て静岡県産という事です。まずここから説明に入ります。

一部ベトナム産紙バンドも流通していますが、こちらも静岡県の会社が企画製造しているモノで、静岡産と同じ雰囲気です。また、中国産?もあるよと言われるのですけど?私にはよくわからないです。

「兎屋 コレクションカラー紙バンド」は、①兎屋が企画し、②高知県の製紙会社に原紙を発注し、③愛媛県の紙加工会社で紙バンド製品にして貰う・・・・という流れです。そして、数ある手芸用紙バンドの中で、この②と③を実践している紙バンドは、唯一「兎屋 コレクションカラー紙バンド」だけとなっています。

 

なぜ?唯一なのか?・・・・・兎屋創業時は静岡県産紙バンドだけを販売していました。しかし、仕入れて売るだけの”バッタ屋”稼業では先がないと、早々に見切りをつけ、愛媛県の紙加工会社の門を叩いた2003年が「兎屋 コレクションカラー紙バンド」の始まりでした。しかし、手芸用紙バンド製造の経験がない加工屋会社さんは、手芸用紙バンドってなんだろう?求められる品質は?から入って行くしかなく、静岡県産紙バンドの扱いをやめていた兎屋の立場は(ここしかない!)と言う背水の陣でした。今でこそ誇らしげに唯一と言いますけど、当時は唯一頼るべき道だったのです。

愛媛県の紙加工会社さんは、先代社長時代の、昭和40年代に手芸用としてカラフルな紙バンドを販売していたそうです。紙バンドの詳しい話(4)項を参照下さい。

 

製紙会社の営業マンだったある日、お客さんの事務所で初めて見た手芸用のカラー紙バンド。今でもその時の状況は覚えていますし、見た瞬間(これは面白い仕事!)(この仕事に関わりたい!)と思ったのでした。

その後製紙会社を辞め、2002年春に神奈川県藤沢市で「兎屋」をスタートしました。スタートした頃「兎屋」で販売するクラフト紙バンドとカラー紙バンドは静岡県のものでしたが、並行して「赤ぶどう」「ちょこ」「きゃらめる」などのこだわり中間色の紙バンドを作り販売しました。当時は中間色の和色のような紙バンドはありませんでした。

こだわり(ややこしい)のカラーの紙バンド原紙は愛媛県の製紙会社で作って貰いました。条件は小ロット抄造が可能かどうか?こだわり(ややこしい)中間色で紙バンドを作る事はお客さんにとっても楽しい事だと信じていたので外せなかったのです。

まぁお金があればどんどん紙を抄いて貰えばいいけれど、私にはお金が無いので、小さく紙を抄くしかなかったのです。でも色の数は増やしたい・・・・ここが苦しいところでしたね。
※残念ながら当時カラー原紙を抄いて貰っていた製紙会社はなくなってしまいました。

その後、紙バンド加工も自分で手配しなければならない状況になった時、静岡県以外で紙バンドを生産する会社は愛媛県のM社(四国中央市)しかない事を知り、さて困った・・・ルートが無かったのです。で、製紙会社の前に勤めていたT商事(四国中央市)の仲間に連絡し、間に入って貰ったのでした。もし、M社に断られていたら、始めたばかりの「兎屋」はやめる積りでいました。なので、「話だけでも聞きましょう」との返事をもらった時は、うれしい!と同時に緊張しました。


おかげさまで、M社から良い返事を頂き、今日まで長いお付き合いをさせて頂いています。当然M社さんとは一緒に何度も波を越えて来ました。M社にとっても手芸用紙バンドの製造は初めてだったのです。M社の社長をはじめ、M社の方たちは紙や紙加工に対する意識がとても高く、そのおかげで兎屋紙バンドが仕上がっているという事です。ありがたい事です。

兎屋紙バンドでは基本小ロットの色原紙を使います・・・・小ロット紙を使うという事は紙が安定していないという事です。大量発注出来るのなら抄きながら調整出来ますが、小ロットだと調整する前に抄き終わることもあるのです。色の調整も難しいという事です。

また、静岡県の紙バンド加工会社群とは違い、M社は米袋用紙バンド製造が主力なので、手芸用紙バンドは米袋用紙バンド製造が暇な時期しか作れないという規制もあり、品質向上のチャレンジが年に2回しか出来ないという事があったのです。

なので紙が悪いとか、紙バンド加工の調子が出なかった場合、それらの克服チャレンジは「次回持ちこみ」という事になるのでした。その挑戦を13年×2回=26回行い、兎屋紙バンドを育てて来ましたが、まだ納得が行かないところもあります。そして27回目の挑戦が来週から始まるタイミングで、四国中央市へ出張して来たという事です。