fukuちゃんが東京から静岡の兎屋まで来てくれたので、また兎屋のHPが新しくなりました。

兎屋スタートの2002年以来、常に「兎屋HPはどうする・・・・・」との脅迫?観念を抱きながら、なんとか続けている兎屋HPも今回の更新で5回目か6回目、もうあまりよく覚えていませんが、ずっと兎屋のネット環境を応援してくれていたfukuちゃんが、また遠い所から来てくれたので、準備していた新HPを公開することが出来ました。

信じられないかも知れませんが、兎屋が高知にいた時も何回も東京から!車で駆けつけてくれていました!彼は兎屋が点々と移動するたびに、その先の地に駆けつける羽目になっているのです。すまぬ・・・・・

異常な速さで日々変化するネット環境になんとかついて行けるのもfukuちゃんのお蔭、しかも彼は兎屋のネット面の面倒を見ているうちに、紙バンド手芸にも手を染め、今ではかなりの紙バンド手芸者となっています。マジです。(元々はオートバイの仲間だったのですけどねぇ)

そして今回も、HPなどを取り巻く「今」を作業しながらずっと教えてくれるのです。なので私の乏しい脳みそ容量はそれらを聞き漏らすまいとフル回転なので、夕方には疲れてしまうのです。毎度の事ですけどね。

業者に頼めば楽勝のHPですが、fukuちゃんが導入してくれたあとは自分で更新を続けるので、ダイレクトで、しかも兎屋らしいHPが展開出来るのです。自分でしないとHPは血が通わないぞ、と信じてもう16年ネットの山の登山を続けています。(爆笑)

兎屋のスタートは2002年の春ですが、紙バンドに出会ったのは1990年代後半、もうすぐ21世紀って頃に手芸用カラー紙バンドに出会っています。当時は静岡県富士宮市の製紙会社の営業として古紙100%製の「クラフト原紙」を販売していて、あるお客さんの応接間で、紫、赤、黄色、オレンジ、緑、等の紙バンドを見た時「これは面白い仕事!」と思ったのでした。

勤めていた製紙工場の主力商品は100%古紙抄造のクラフト紙で、主用途は梱包用のクレープ紙と、紙ひも、その先に紙バンド用もありました。抄いていた紙はクラフト色かシロの紙だったのでカラフルな色の世界は楽しそうでしたし。これはイケる!と思ったのでした。で、当時は製紙会社の社員でしたので、何とか自社でカラー原紙が抄けないか?いろいろやって見ましたが結果的に無理と言う事になり、四国中央市の紙仲間に声を掛けてOEM生産が出来るかどうか?ってところでその製紙会社を辞めたのです。

突然な事で、言葉のあやと言うか?社長と言い合いになって「じゃぁ辞めます」

おもえば会社員として失格だったという事です。でもやる気はありました。その証拠が写真のクリーム色のファイル。紙バンド用の紙を作る為の準備が細かい字でびっしり書かれていて、迷った時は今でもこのファイルを眺めています。